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逢い引き

今まで鑑賞した映画、ドラマの感想などを語ります(*´-`)

沈黙-Silence-

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  昨日、「沈黙」を映画館で鑑賞してきました。

 

この文章を書こうと思い立ったのは、映画鑑賞後、沈黙の感想をネットでいくつか見ているうちに、ほとんど無神論者、無宗教者であるからか、私と全く違う感想が出ていたからです。

 

少なからずショックでした。

批判しているのではなく、信者でない方はこういう風に違う見方をするのかと驚いてしまったのです。

 

しかし、やはり信者から見る視点も必要だし、信仰的に解説してみるのも悪くないと思い、書くことに決めた次第です。

 

私はこの原作を結構前に一読しているので、それなりにストーリーも下地で知っている状態での鑑賞でした。映画自体は、さすがキャストも豪華で監督も有名な方なので、ものすごい出来でした…

 

  演技は、多言語(英語、日本語、ポルトガル語ラテン語)が交わされる中でもほとんど浮くことなく、自然体そのものの迫力あるもので感激しました。

 

  背景の音楽はほとんどなく(気づかず)、背景の海の波の音であったり、虫の声であったりと、ほんとに淡々とした雰囲気がよく出ているなぁと感心しました。

 

  そして、最初から出る拷問シーン。初めから飛ばすなぁと鳥肌立ちました。

拷問シーンや、百姓たちとパードレとの時間、捕まってからの時間、そういう一つ一つを丁寧に説明するようにロドリゴの手紙を朗読で流しているのも印象的な演出でした。

ロドリゴの内的変化が浮き彫りにされる最も効果的な演出だと思いました。

 

最後までずっと緊張感を持って観るしかないような、謹厳かつ恐怖心が常に伴う映画でした。

途中手紙の朗読のみで退屈してしまう人もいるかもしれないのですが、内的変化に着目するとものすごく最後あたりで震えます⸜( ⌓̈ )⸝

 

  ではこれまではネタバレなしの感想でした。

次からネタバレあり批評あり原作取り入れた解説ありの感想です((( ⍥ )))↓

 

  1. 原作取り入れ映画解説(キリスト教徒から見る視点と批判)
  2. ネタバレありの感想

 

 

1.原作取り入れ映画解説(キリスト教徒から見る視点と批判)

  まず原作の説明の前に、沈黙(小説)の作者、遠藤周作について簡単に説明したいと思います。

 

 

遠藤周作は、第二次大戦を体験している世代の人です。ですから沈黙は半世紀ほど前の小説ということになります。

 

周作は自称カトリック信者ですが、死ぬまで自身の信仰について疑問を感じていたようです。その疑問と歪んだような信仰が作風に現れているのが、今回の沈黙であったり、侍、深い河、黄色い人…といった多くの小説です。

 

その傍ら、狐狸庵先生という呼び名でユーモア溢れる文章を書き楽しんだりと、多彩な文章を書いている作家でもあります。

 

 

  彼の家庭環境はあまり良いものではなかったそう。父親が不倫、そして離婚…

周作とその兄は母に連れられて16歳も年下の女と再婚した父親のもとを離れます。そこで母方の叔母さんの影響でカトリックの洗礼を受けます。中学生の頃です。

 

それからカトリックと信仰と日本文化とで相まって、カトリックを異文化に感じる違和感などで悩み続けます。それは歳をとってもなくならず、しかしある人の他宗教の考え方で完全に自分の違和感を克服したようです。

「深い河」で完全にそのギャップを自分のものにしたことが現れています。

  

 

  小説「沈黙」は、その悩みと葛藤の真っ最中に書いたもので、それが最も強く現れている小説といっても過言ではないでしょう。

特に、遠藤周作自身、「登場人物のキチジローは自分だ」と明言していたようです。

 

 

  キチジローは、信仰に強い憧れを持ちつつも、拷問は怖いから、自分は弱いから仕方ないと開き直っていて、踏み絵や棄教を迷わずしてしまいます。それから許しを乞い、また次の瞬間同じことを繰り返す、なんとも言えない人間像です。

 

 

  主人公ロドリゴは、自分の師フェレイラ神父の信じがたい噂を聞き、信仰の友ガルペと日本長崎に行きます。そこで少しずつ百姓の隠れキリシタンと会い、それなりの役割を見つけた所で村に役所からの疑いをかけられ、実際の拷問を観ることになります。

そのきっかけで少しずつ信仰心に揺れが出来始め、ガルペとも生き別れ、一人で神と触れようとしつつ神のことが分からなくなるという葛藤…

 

 

神はなぜこのような試練を私たちに与えるのか?なぜここまで追い詰めておいてもなお沈黙されるのか…!という所が小説の主題です。

 

 

 

  私は、ロドリゴの葛藤とキチジローの飽きのない罪の反復は、周作自身の葛藤を表していると思います。

また、この小説は一体何を言いたいのか?何をここまで切実に伝えているのだ?というのは、私がキリスト教徒だからこその視点かもしれませんが、文章一つ一つが全て、遠藤周作の絶え間ない弁明に聞こえるのです。

 

この文章をかくにおいて私も色々調べましたが、遠藤周作の信仰感は、キリスト教の視点から見ると、あるヨーロッパの神父さんも批判していますが、間違っています。

 

神の度量を自分の度量で理解しようとしても不可能です。

彼は、キリスト教の神を、人間の度量ほどの神としか認識していないのです。

実際は、全知全能の神と言われる方であり、人間の度量、理解を超えた大いなることを示す方です。

遠藤周作は、結局、信仰を持っていなかったのだと思います(あくまでも私個人の意見ですから反感を持たれたらすいません)。

 

よって、その葛藤は少なからず聖書にそっていないため、信者という自覚があるなら、自身の葛藤の傍らに、罪悪感が常にあったと思うのです。

彼はこの小説で、自分の葛藤による罪悪感を絶えず弁明しているように見えました。自分の葛藤を正当化させるかのように、最後にはロドリゴは棄教…私としては批判的に見えざるを得ない小説でした。

 

しかし、「沈黙」は、世界中で評価され、戦後日本を代表する小説と言われています。

その葛藤や主人公の苦しみ、神と常に交わろうとする切実さ、その傍ら苦しむ百姓らを放って置けずどうすれば良いのか揺れる心…それらを驚くべく描写で書き出している、読んでいて苦しい小説です。

読者をここまで揺り動かすことのできる文章は、さすがの文才と舌を巻きます。

 

興味がありましたら、ぜひ一読することをオススメします。↓

 

 

 

沈黙 (新潮文庫)

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2.ネタバレありの感想

  ついに映画の感想ですm(_ _)m

 

前置きが長くなりました。映画自体は、冒頭にも書いた通り素晴らしかったとしか言えません。

ロドリゴの葛藤と、キチジローの演技は本当に舌を巻くものでした。

 

ロドリゴ演じる、アンドリュー・ガーフィールドは、私は今回の映画で初めて演技を見た俳優です。

最初出たとき、声が高いと思いつつ、綺麗な顔をしていると個人的に思いつつ、演技にのめり込まれました。

 

なにがすごいかって、彼がずっとナレーションするように手紙の朗読が彼の声でされるのですが、終盤に近づくにつれ神の声が自分の迷いのせいで聞こえなくなり、さらにそれで葛藤し、最後に踏み絵を迫られる瞬間、絵の中のイエスの声が聞こえる錯覚にとらわれます。その時までの揺れを忠実かつ切実に演じれていたことです。

 

 

個人的には、待ちわびたその声のようなものを聞くことができて、その上それが、「踏んでも良い、それで良いのだ…」という囁きであったのなら、なぜ踏んだ後にあのような号泣が出たのかと思ってしまいました。

主の御言葉は、人々に心の平安を与えます。

しかし、心の慰み、平安をその声によって得ることができなかったのなら、それは真なる主の声ではないとロドリゴ自身知っていたのでしょうか。どうなんでしょうね…

 

映画では、死体に、モキチからかつて預かった十字架(牢屋の中でロドリゴがそれを懐の奥ばったところにしまい込むシーンがある)があることを最後に映像で見せて、謎めいた終わらせ方をします。

 

これは、ロドリゴが本当に棄教をしたのか、棄教とはなんなのか、彼は結局最後までなにを思っていたのか…

 

踏み絵の後からロドリゴの手紙はないので、ロドリゴの内的解説はもうありません。見る人に判断を委ねています。

この終わらせ方は本当に余韻が残りますね(^_^;)

私は、ロドリゴが棄教を心からしたかどうかは置いといて、彼が心から平安だったかそれとも死ぬまで罪悪感に苛まれて苦しんだか、そちらの方が気になりました。

 

私がロドリゴだったら、徹底的に神を否定し続けることや、役人の言う通り踏み絵や棄教宣誓文を書くとかなどしたまま内心違うと棄教していなかったのかもなと思いました。代わりに、常に罪悪感に苛まれて辛かったことでしょう。プラスで言えば、死後パライソ(パラダイス、天国)に行けるかどうかも本人は色々悩んだり苦悩したんじゃないかなーと、個人的には思いました。

 

 

  キチジローについては、どう表現すれば良いのか…

とりあえずあの変身したかのような、ロドリゴを告発する傍ら告悔しているあの身の変わりよう!

それをあそこまで滑稽かつ卑怯に演じれた彼、窪塚洋介に驚かされました。正直に、1番視聴者の心に残るのではないかしらと思います 笑

 

 

 私は、踏み絵とか無駄だと思っていたし、日本人しか踏み絵などはさせません。

しかしそれは、信者のイエスを愛する心を揺さぶる行為であり、いくら聖書で偶像を愛するなと書かれていても、愛するものが描かれた絵を踏むのは抵抗がある、唾を吐くなどしたくない。

この感情は、皆さん持っているでしょう。例えばすごいガールズグループファンで、CDも出るごとに買い、ライブもよく行く人にそのメンバーの写真が踏めるか?唾を吐けるか?

 

踏み絵しちゃえばいいのに、と簡単にできちゃえばあれほど殉教者が出たはずはないのです。

 

ロドリゴも、偶像やものに終着する信仰は危ないと言います。また、お寺で自らの師、フェレイラと対峙した時、フェレイラの言う言葉はほとんどが彼の弁明のような論理的にキリスト教でなくても良いという回避思考でした。しかしそのうち弟子と話すことで少しずつ昔の感情が生き返ったのか、かつての話を少しします。

「日本はキリスト教が根付かない、もしくは根付きにくい国なのだ」と。そして、ザビエルが日本に来てイエスについてなんと説明したか言います。「あの太陽に例えたのだ」と。日本人はそれを、あの太陽がイエスなんだといっそ思うとか、そういう風に自然的偉大なものを介してしか理解ができなかったと嘆きます。

 

フェレイラは15年、日本で宣教していると自分で言うほど、それなりの宣教の限界を感じていたのでしょう。

私も思います。宣教すると言っても、それは長い年月をかけねば熟さないと身をもって思います。

 

 

 

  そして、私としては、井上筑後守がひどく印象的でした。彼は少しずつ、宣教師の心を侵食します。まずその手腕がすごい!

私もああされたらと思うと恐ろしい。

屈服せざるを得ないやり方だと思います。しかし、おそらく、井上も、それなりに揺れている宣教師を選んでいたのでしょうね。

 

ウィキペディアを見たら、「井上はかつて熱心な信者であった」とありました。

大変驚きました。

それであの追い詰め方は、本当にエグい人だなと恐怖を感じました。

印象的だったのは、なんども屋敷にロドリゴを連れて来て、改心を言葉で迫るところです。日本について説明し、自分たちがどうしてここまでキリスト教を根こそぎ抜こうと思っているのか。しっかり解明し、話そうと言うのです。

ロドリゴは、それに対しこう言います。あなた方と私では一生交えない。何故なら話の終着点に私らは他のことを求めているからだ。と答えています。

 そこでお互い答えがはっきりしているのは、ソレだの信念の強さが表れていて、迫力が凄かったです。

 

 

  もう一つ言うと、個人的に、日本人の話す英語が面白かったです。井上筑後守の英語もですが、通訳の男の英語はまじで上手でした 笑

それに比べて、パードレの日本語はたったの二言、ありがとございます…とか、一緒にいてくれて…です。少し対照的すぎるところも意図があるのでしょうかね。

 

 

まあ、とりあえず、批判とか色々言ってしまいましたが、沈黙の映画は多くの人が観るだろうと思われるので、

もし不信者が観たらキリスト教について印象がどうなるだろう…踏み絵は結局罪なの?とか、ロドリゴの聞いた声はなんなの本当にああ言うかな?とか、そういうのにキリスト教の反感を持たれたらちょっと悲しい。誤解も多く生まれる気もする。

 

でも一度観て欲しいとも思います。少なくとも色々考える機会を作れる映画であれほどインパクトの強い映画はないと思うからです。

 

 

また、もし殉教とか宣教について、もっと違う視点で観たいと思われる方がいらっしゃるなら、ぜひ「クォ・ヴァディス」や「ミッション」(ロバート・デ・ニーロ主演)を観て欲しいと思わずにはいられません。

殉教の意味を取り違えないで欲しい。

ぜひ観てみてください。↓

 

 

 

クォ・ヴァディス [Blu-ray]

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長くなりましたが、ここまで見ていただきありがとうございました。