君に読む物語-The Notebook-
君に読む物語は、完全なるラブロマンスです。アメリカで大ヒットした小説-The NOTEBOOK -を映画化したもので、私は2回観ました。とても泣けます( ; ; )
映画は2004年公開で、結構前の映画なのですが、何度観ても観るごとに感動する、素晴らしい映画です。
俳優さんは、今上映しているアカデミー受賞の映画、ララランドの主人公を受け持っている、ライアン・ゴズリングで、女優さんは、スポットライトなどに出演しているレイチェル・マクアダムスです。
まずは、アリーの可愛さに圧倒されます。
笑い方がとても素敵で、思わず惚れそうになります。主人公が惚れるのも理解できますね笑
そして、ノアの口説き方!そして執心深い誘い!こちらもとても微笑ましく、2人とも可愛らしいカップルです。
そして圧倒されるのが、ノアの愛の大きさ!
観ていると、 ノアの心からの大きな愛に少なからず感動するし、ここまで愛されるアリーが心底羨ましくなります。
最後には思わず一緒に観ていた友達と2人で涙してしまった、感動の一作!愛に泣きたい時にオススメの映画です。
では次からネタバレあらすじと感想です!⬇︎
ネタバレあらすじ
あらすじいきます。
シーンは、ある介護ホームから始まります。
ある認知症の女性のもとにある男性が読み聞かせに訪れるのです。
男性がその物語を読み始めるとシーンが変わり、アリーとノアの出会った40〜50年前の遊園地に遡ります。
アリーは夏だけ休暇にノアの住む田舎に遊びに来ているお嬢様。ノアは遊園地でアリーを見かけ、完全に一目惚れします。
最初はアリーはノアのナンパを頑なに拒み続けますが、何度も誘われるうちに少しずつ興味がわいたのか、家までの道を共に歩くのをOKします。
そこでノアに、"君自身が好きなこと、したいことはなんなのか?"という、アリー自身を見てくれるようなことを熱心に言われ、心が砕け、その日を機に付き合い始めます。
2人はすごい熱烈に愛し合いますが、壁が多すぎました。
まず、家柄が違いすぎた。
アリーは大金持ちのお嬢様で大学狙いで習い事で毎日を送る日々。それに比べノアは材木所で時給数セントで働く田舎者。
教養の違い、生活の違い、考え方の違い…極めつけに、アリーの両親が猛反対し、元の家に帰る予定を早める始末。
その後ノアは1日1通手紙を365通書きますが、アリーの母がそれを全て隠してしまい、アリーは受け取れず、ノアも返事が来ず、すれ違ってしまう。
アリーは7年待ちますが、そこで告白された人と結局付き合うことになります。
ノアは365通目の手紙を出すと、都会に出て働き、そのうち戦争に行きます。
帰宅してみると父が、ノアが欲しがっていた土地を購入してくれていて、それにアリーと思い描いていた家を建て始めます。
その間にアリーは恋人が大富豪だったことで両親も気に入り、婚約します。
運悪くノアは街でアリーとその恋人を見かけ、完璧に家を建て終えたらアリーがまた自分のものになると錯覚し、何かに取り憑かれたように建築をします。
建て終えた家をノアは売ろうと決心し、新聞にあげますが、来る人々をことごとく様々な理由をつけて断ります。
その新聞記事を、アリーは結婚衣装試着室でちょうど見かけ、気絶してしまいます。
そしてノアに会おうと決心します。
家のそばの湖でノアとアリーは舟で遊び、その帰りに嵐にあいます。
そこで何かが吹っ切れたアリーがなぜ手紙をくれなかったのかと問い、ノアは365通出したと答え、2人は激しく抱き合います。
ノアの家のアトリエを見てアリーは、家が自分の望んだ通りなのを見て感慨を感じます。
いく日もアリーが不在と見た恋人と家族は、だいたい状況を察し、母がノアのうちに訪れます。
アリーと母が激しく言い合う中、母が出かけようと言い、ノアがかつて働いていた材木所に訪れます。
そこで母はかつての自分の一夏の恋を語り、その相手を指差します。そして、パパと結婚して本当に良かったと泣きます。
その後ノアの家に戻り、ノアのかつての手紙を手渡したのち、良い決断をと言って母は去ります。
ノアはやっと手紙を受け取ったねと笑いますが、2人はお互いに先へ進む一つの決断が迫っていることを実感します。2人で進むか、離れるか…
別れ際、ノアが、君が誰を望み、何を幸せと感じ、何を望むのか?他の人への迷惑や傷は考えなくてもいい、ただ君はどう思うのか?と、出会った頃と同じ問いをまた問い、僕は君を望む、君を愛していると言うのです。
君があっちに戻ると言うなら僕もそう思おうそれが君の幸せなのだと思うよ、と言い、アリーは泣いて笑い、恋人の元に一旦戻るといいます。ノアはその言葉で完全に落胆します。
ここでシーンが変わり、老人ホームに舞い戻ります。
ここまでも時折老人ホームに戻っていますが、シーンが変わるタイミングが微妙で、ここには書けませんでしたm(_ _)m
認知症の女性、実はアリーなのですが、アリーはずっとその先どうなるのと男性ーこれまたノア自身なのですがーにずっと問い続けるのです。
そこでノアが、それは君自身が知っているのではないかな?と言い、アリーが、そう…そうだわ、そうだったわね…とつぶやき、シーンが変わります。
アリーがホテルに行くと恋人が待っていて、アリーを、誰かを思う君が欲しいんじゃないと言い、僕だけの君が欲しいのだと言います。
しかし、君の幸せだけを望むと送り出してくれます。
次の朝、ノアは物音で目を覚まします。
外に出てみると、アリーが大荷物を持って立っていて、2人で笑い合います。
ここでまたシーンが戻り、アリーが、あなた、これは私たちの物語じゃない、思い出した、思い出したわ、私どれくらいまた記憶を失っていたの?とノアに聞きます。
ノアは、ちょっと君が遠くに行っていただけさ、なに大丈夫、またこう戻ってきてくれるのだからと言い、アリーを優しく抱きしめます。
アリーが、前は何分持った?と聞くと、ノアが、前は5分も持たなかった、まあ今はこうしていようと言い、2人で曲に合わせてゆっくり踊ります。
そのうち急にアリーがあなた誰?なぜ私にダーリンと言うの?他人じゃない!あっちへ行って!誰か助けて!と叫び、人々に押さえつけられて薬を投入され、アリーの苦しそうなのとノア自身苦しいのとでノアは嘆き泣きます。
その次の日、ノアは心臓が悪くなって病院に運ばれ、長い間入院します。
アリーは覚えているはずはないのですが、ずっとノアを探すような仕草をしています。
ノアが退院した日、アリーを見に夜部屋を出ます。
そこの看護師さんに暗に許可してもらってアリーのもとへ向かうと、アリーが起きて、心配したと言い、奇跡が起きて2人で一緒に死ねるといいねと言います。
ノアが、奇跡が私たちならできないことはないよとつぶやき、アリーの隣に寝そべります。2人で手を繋いで、寝るのです。
朝その看護師がアリーの部屋に行くと2人は手を繋いだまま静かに息を引き取っています。
映画はここで終わります。
感想
まず、最初にも述べましたがノアの愛が泣ける!
認知症のアリーのために、記憶が戻るために、アリー自身で書いた物語を読み聞かせ続ける彼、アリーのそばを決して離れない彼、アリーの願いならなんでもできる彼…
本当にこれほど人を愛せるのか?と思うほどの愛情に涙が止まりません。
アリーを見ながら、苦しみながら、それでも愛する彼に思わず賞賛を送ってしまいました。
これを観たら、人々はまず愛するということを学び、その難しさと苦しさを感じ、そして、人は金で生きるのではなく、愛で生きるのだということをひしひしと感じると思います。
私たちの多くは、ここまでして誰かを愛そうと思えません。自分が辛いからです。
だからこそこの映画が光るのでしょう。
この映画は、多くの大人が自分の子供たちの熱愛を一夏の恋としか思わないような恋も、実はこれほど深い愛になりうるのだということも見せています。
幼いからといって本気の恋をできないわけではないのだと、私も時折叫びたくなりますが、この映画を観て、一生涯にこれ一つというこの2人のような愛をしたいと心から感じます。
何もかも違っても愛があれば生きていける、というのは難しいと思いますが、この2人は、そうしながらもお互いに合わせあっていけたのだろうと思います。合わせようと思えるのは、愛あればこそでしょうし…
ノアのアリーへの問いも心を打ちます。
君自身はなにを望む?という問いは、アリーだけでなく、今時代の波に飲まれ必死に忙しく毎日を送る私たちすべてに対する問いかけではないでしょうか?
私たちも実は私たち自身の望みを知らないのではないのでしょうか?
それとも日常に飲まれて忘れていないでしょうか?
…気づいたら、
私たちは地位や金は得ても、何か大切なものを失っているのかもしれません。
今現在、私の周りにも多くの恋や愛があって、色んな人が愛し合い、心を分け合い、生きていますが、
こんな愛ができるのならなにを捨ててもいいって、私は思ってしまいます。
私自身、好きな人がいますが、
この映画のように、彼と奇跡のような日々を過ごし、愛し合い、想いをぶつけ合って生きていけるのならそれ以上の幸せはないと思います。
この映画を観たみんなが、暖かな愛を感じ、満ち足りた幸せを感じられたらと願います。
ここまで読んでくださってありがとうございました(*´˘`*)